茶碗のように見えるどんぶり(made in Tasmania)なのだ。

ケサマシブ

2005年01月13日 08:05



ホストファミリ−のリチャードが僕のためにどんぶりを作ってくれた。でも、この写真だけを見ると茶碗のように見える。大きさが分からないからだ。
彼は去年の12月まで約2年間、ホバートのTAFE(公立の専門学校のようなもの)で陶芸のコースを受講していた。家に窯もあり、彼の作る作品は僕から見るとプロのものと変わらないように見える。

その彼が、インスタントラーメンをよく作るのだけれども、あまり良い容器がなくて困っている僕のために、新しいどんぶりを作ってくれた。ある日突然、彼が「月刊陶芸」(?)という感じの日本の雑誌を僕に見せて、僕のためにどんぶりを作るつもりなんだけれどもどんなデザインが良いかと訊いた。その雑誌にはどんぶりのような大きな物の写真があまり載っていなかったので、僕はいかにも戦国の武将が使いそうな茶碗をさして、この色は良いが形はもう少し安定感があった方が良いと、いかにも知ったかぶりをして答えた。

それが現実の物となって、僕のインスタントラーメン用のどんぶりになった。日本ではまず見られないような少し地味な容器だが、僕はラーメンを食べる度に、千利休などの戦国、安土桃山期の先人の美意識の繊細さに思いをはせ、日本に生まれて良かったと再確認するのだった。そして食後は、小笠原流の茶道の形式にのっとって日本茶を喫した後、短歌を詠むのが常である。

と言うのは嘘で、いつも何にも考えずインスタントラーメンを食べ、その後ボケーッとして眠くなったらそのまま寝る、またはその後ビールを飲んで眠くなったら寝るというような生活をしている。死が極めて日常的な問題であった戦国の武士などとは到底違う、まったく切迫感のない生活をしている毎日である。
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