2012年06月19日
「可能性を否定できない」の使い方
最近、テレビのニュースでよく聞く言葉として、
「可能性(疑い)を否定できない」という言い回しがある。
たとえば、
「メルトダウンの可能性を否定できない」
とか、
「元被告とは別の第三者が真犯人との疑いを 否定できない」
などのように使われている。
しかし、この「可能性を否定できない」という言い方は、
実は何も言っていないのと同じだ。
「可能性(疑い)を否定できない」という言い回しがある。
たとえば、
「メルトダウンの可能性を否定できない」
とか、
「元被告とは別の第三者が真犯人との疑いを 否定できない」
などのように使われている。
しかし、この「可能性を否定できない」という言い方は、
実は何も言っていないのと同じだ。
一つ目の例で考えてみよう。
「メルトダウンの可能性を否定できない」とは、
A: メルトダウンの可能性がある
B: メルトダウンの可能性がない
の2つのケースのうちのBとは断言することが出来ないと言っている。
Bではないということではない。
Bかも知れないし、そうでない(つまりA)かも知れないということだ。
結局、メルトダウンの可能性があるともないとも、何も言っていないのである。
ただ、「メルトダウンの可能性を否定できない」という言葉を発したというだけで、
その言葉には何の意味もないということだ。
責任回避の言い回しと言えるかもしれない。
肯定文ではなく二重否定を用いることによって、発言者としての責任を回避しつつ、
聞き手に「メルトダウンの可能性がある」との印象を与えることをねらった
卑怯な語法のようにも思える。
テレビなどのメディアは、この言葉を無反省に乱用しているように思えるのだが、
どこまでその事実を認識しているのだろうか。
じつに疑わしい。
「メルトダウンの可能性を否定できない」とは、
A: メルトダウンの可能性がある
B: メルトダウンの可能性がない
の2つのケースのうちのBとは断言することが出来ないと言っている。
Bではないということではない。
Bかも知れないし、そうでない(つまりA)かも知れないということだ。
結局、メルトダウンの可能性があるともないとも、何も言っていないのである。
ただ、「メルトダウンの可能性を否定できない」という言葉を発したというだけで、
その言葉には何の意味もないということだ。
責任回避の言い回しと言えるかもしれない。
肯定文ではなく二重否定を用いることによって、発言者としての責任を回避しつつ、
聞き手に「メルトダウンの可能性がある」との印象を与えることをねらった
卑怯な語法のようにも思える。
テレビなどのメディアは、この言葉を無反省に乱用しているように思えるのだが、
どこまでその事実を認識しているのだろうか。
じつに疑わしい。
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坂崎幸之助と吉田拓郎のANNG 中島みゆきの回
阿修羅を見てきました
サッポロ黒ラベル発見
すごいよ、この歌。KOKIAさんの「ありがとう」だって。
これが、「ポニョポニョ」かい
迷わず目玉焼きをひっくり返してしまう、こんな私に誰がした
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Posted by ケサマシブ at 16:59│Comments(0)
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